官製「ジェンダー」が下りてきた!:「ジェンダー」「ジェンダーフリー」の定義をめぐる闘争と行政・女性学・女性運動

山口智美 | 2009/7/20

「ジェンダー」の定義をめぐる議論が盛んである 。反男女平等を主張する右派が、「ジェンダー」や「ジェンダーフリー」という表現について、「性差の完全な解消を狙っている」などと曲解に基づき、攻撃を加えていることがその背景にある。それに対し、日本女性学会、内閣府男女共同参画局、自民党の一部新人議員や、公明党などの政党が「正しい」ジェンダー概念を使うことを提案した文書を出すという動きが出ている。

「ジェンダー」という言葉を使うべきかどうかという議論が沸騰する一方で、日本の女性運動は90年代半ばまで「ジェンダー」という言葉を使わずに、女性差別撤廃、性の平等の運動に取り組み、成果を挙げてきた歴史を持っている。「ジェンダー」や「ジェンダーフリー」が本格的に登場したのは90年代半ば、北京会議以降の、ここ10年ほどの流れなのだ。そして、これらの言葉は行政主導女性学で、導入されてきたのだ。そこから見えてくる、女性学・行政・女性運動に関わる問題について考察してみたい。

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おかしいぞ!「男女平等教育=性別特性論」説

山口智美 | 2009/7/20

「男女平等教育」というのは性別特性論を超えられないので限界がある、という論が流通しているようである。

昨年の12月、東大でのジェンダーコロキアム「ジェンダーフリー概念からみた女性学・行政・女性運動の関係」の際の会場との討論で、私はこの論を初めて聞き、驚いた。そこでは、性別特性論を「男女平等」概念では超えられないからこそ、それを超える概念としての「ジェンダーフリー」が必要なのだ、という論理が展開されていた。

それ以降、この「男女平等=性別特性論」説というのがやたら目につくようになった。女性学者の集会などでの発言、そして教員組合の女性部のニュースレターや、緊急行動要請の類い、そして各地の条例審議会での議論などを見ても、この論がかなり広く流通していることに気がついた。

だが、少なくとも日本の女性運動の歴史において、このような理解は1995年頃までは主流ではなかったのではないか。女性運動は男女平等教育をめざして運動を続けてきた訳で、当然ながら性別特性論は超える対象であった。「男女平等教育=性別特性論」なんてとんでもない、「男女平等教育vs性別特性論」という枠組みだったはずだ。例え男女平等を性別特性論の枠内で語る勢力があっても、女性運動は常にそれを超える概念としての「男女平等」を提唱してきたのではないか。

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『続・はじめて学ぶ ジェンダー論』の感想その2

斉藤正美 | 2009/7/20

前回のエントリーで取り上げた『続・はじめて学ぶ ジェンダー論』伊田広行著(大月書店)批判の第二回である。今回は、同書で用いられている「ジェンダー」や「ジェンダーフリー」「シングル」など出てくる概念に矛盾が多いのでその点をとりあげることにする。

女性/男性問題などについては、行政などが「ジェンダーフリー」や「男女共同参画」のほうをキャッチフレーズとすることが多くなった。しかし、「男女共同参画」は基本法での定義があるが、法律で定義されておらず、裁判で争われたこともない「ジェンダーフリー」や「ジェンダー」はわかりづらい。しかも、これらは日本社会でどのような意味で運用していくか、ということが今だ議論彷彿で定まっているとはいえない。そのため、論者によっていろいろな意味が特にネットであふれ出しており、批判を含めた多様な議論が生まれている。ネット世界でも「ジェンダー」や「ジェンダーフリー」の意味への関心が高いわけである。

このような社会状況を考えると、上述の「初めて学ぶ」を謳った入門書は、大変注目されるところである。私がこのような批判を行うのは、「ジェンダー」ということばが類似の用語とあわせて、いかなる意味で活用されるのがいいか、ということを考えるからである。女性/男性問題の政策につながる議論として行っているのであり、決して言説にとどまる批判ではない。

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「ジェンダー」概念と女性学

山口智美 | 2009/7/20

「ジェンダーフリー」は明らかな誤読に基づいて和製英語として作られた言葉だった。反面、「ジェンダー」は英語にれっきとして存在する言葉である。そして、「ジェンダー」はよく「社会的・文化的性差」などと日本語で訳されている。

だが、私はこれにずっと違和感をもってきた。英語でいう「ジェンダー」は「性差」ではなく、「社会的・文化的な性のありよう」といった意味合いだと思うからだ。そして、 ジェンダー間の関係性、そこにおける権力こそが問題になってくる。「性差」という訳は的外れもいいところで、現在バックラッシュ派にたたかれる格好のネタを提供しているようにも思える。

なぜこの概念は「性差」と誤訳され、それが広がってしまったのだろうか?日本ではいったい「ジェンダー」はどのような意味として解釈されてきたのだろうか?

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「ジェンダー」という用語の使われ方

斉藤正美 | 2009/7/20

「ジェンダフリー」ということばがどのように導入されたかについては、山口さんの論考「ジェンダーフリーをめぐる混乱の根源」,「ジェンダーフリーをめぐる混乱の根源」(2)に詳しいが、「ジェンダー」はどのようにして日本社会に導入され、普及していったのだろうか。

こうした疑問から、国立女性教育会館の女性情報CASSデータベースから「ジェンダー」を含む記事を検索し、その数値の変遷をグラフにし、あわせて背景の社会事象を入れて「年表」を作成してみた。なお、ジェンダーで検索できる記事は、1986年の初出以来、2,052件に上っている。以下では、新聞記事検索に基づいて考えてみたい。

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「ジェンダー」概念をめぐる2つの波と行政・女性学・女性運動

山口智美 | 2009/7/20

NWEC(国立女性教育会館)の女性情報CASSデータベースを使って、新聞記事における「ジェンダー」という用語を検索してみた。そして、90年代以降、各年に新聞における「ジェンダー」概念がいくつ掲載されているのか、その推移を表すグラフと、関連すると思われる事項を行政・女性学・女性運動と保守派・右翼勢力に分類した年表を作ってみた。すると、国連会議、「男女共同参画」施策、東京女性財団のパンフや事業、学者による本の出版などが契機となって「ジェンダー」の登場頻度がぐんと増えているのが見えてきた。

グラフから、「ジェンダー」の新聞への登場に関し、2つの「波」があるのがわかる。第1の波は1995年から98年にかけて。そして2000年から2002年にかけて、第2の波がある。新聞記事の数の推移だけを見ているという限界はあるのだが、何かの議論のきっかけになればと思い、それぞれの波が発生した状況について、考察してみたいと思う。

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